2012年5月30日水曜日

「六四」見直しこそ団派の生きる道

薄熙來失脚事件以来、胡・温派+李克強+習近平(これを新四人組ともいうらしいが)と江沢民派の間で権力闘争が激化している。

以前の産経記事に以下のようなものがあった。

 【北京=矢板明夫】詐欺罪などで死刑判決が確定していた中国南東部の浙江省の女性実業家、呉英被告(30)に対し、最高人民法院(最高裁)が、刑執行直 前に審理を高裁に差し戻すとの決定をしたことは、呉被告に同情的だった世論の勝利と受け止められている。しかし、権力闘争に詳しい共産党筋は「背景には胡 錦濤(国家主席)派と習近平(副主席)派の激烈な権力闘争があり、呉被告の存在は今後の中国政局に大きく影響する」と指摘している。

共産党筋は胡主席率いるグループが最高裁の決定を主導したと解説する。習副主席が所属する元高級幹部子弟の太子党グループの有力者、薄煕来・元重 慶市党委書記を失脚させた胡グループは最近、勢力を拡大しており、今回は世論に便乗する形で、習派の「口封じ」の動きを阻止したという。

こんなでたらめな記事が書ける産経記者さまはいったいどんな思想傾向、または政治的背景があるのかかねがね不審に思っていた。(産経記者様の「共産党筋」の怪 をご参照ください。)

最近話題の「中国」工作員・李春光 が、松下政経塾20期生ということが明らかになり、同塾18期生の産経記者・矢板明夫の不審な背景にもいささか納得が行くようになった。

f:id:sankeiaidokusya:20120530004129j:image:right 李春光


上記、 浙江省の女性実業家と習近平とのカンケイをめぐる駆け引きは、産経記者さまが指摘するように、胡温派が江沢民派に近い習近平を叩くため、というのがまったくの誤謬で、むしろ胡温派とチームを組んだ習近平を江沢民派の周永康があくまでひき下ろそうと企んでいる、と見るほうがより現実的であろう。周永康が、今に至るも政法つまりは法律検察関係の責任者であり、裁判所へ影響力を行使できるからだ。

かくほど、中共権力闘争は複雑である。そこに工作員と仲が良い(苦笑)あるいは本人も工作員かもしれない記者(と書けば書きすぎか?)が偽情報を流す余地もあるというものだ。

ということで今回の権力闘争の道筋はまだ不明瞭である。

そこで気になるのが、ここ数日連発する「六四」すなわち天安門虐殺事件をめぐる「報道」である。

5月27,28日に「六四」評価をめぐるデモがあった貴州省の責任者は、書記・栗戦書、省長・趙克志である。栗戦書が「太子党」、趙克志が団派と見られることから、このデモは彼らの指導による官製デモである可能性が強い。


水に落ちた薄熙來を打つのは江沢民派粛清が狙いでも以下のように触れておいた。


「先回りしていえば、この江沢民一派との闘争の成り行き次第では、胡温習チームは、民を愛し民に愛された胡耀邦の偉功を借りる手を使用するかもしれない。

それは1989年の天安門事件の歴史的見直しにもつながるであろう。それこそが民を味方につけるベストな一手なのだ。」

この一手が、 団派+習近平=新四人組によって行使されようとしているのかも知れない。




 もしこのことがゲンジツ化するなら、中共崩壊は一気に進み、団派主導で共産党を社会民主党(あるいはその他類似の党名)に変更し、ハンガリー方式で共産党一党独裁・社会主義制度から多党制・資本主義制度へとシナが変容するのかもしれない。

カギは、上記記事でも触れておいたが胡耀邦である。

 胡耀邦の息子・胡德平は、「太子党」内部で もその温厚な人柄で人望厚いそうである。



 もし、「太子党」という「党派」が存在しある程度のネットワークがあるとするなら、この胡德平との関係が習近平についてもっと語られるべきであろう。

胡德平は元来が北京大学歴史学部を卒業し歴史博物館で働いていた学者タイプの人である。
父親の失脚時には共産党以外の党派との統一戦線を管轄する中央統戦部秘書長だった。

胡・温・李・習の「新四人組」が、「六四」名誉回復をもって政局展開を図るなら、胡德平の名前が必ず浮上すると思われるので記憶しておいてほしい。






2012年5月25日金曜日

トリック・スター・鳩山由紀夫が活性化するもの


三年前の政権交代茶番劇での主役だったにもかかわらず、目がうつろで、口も嘘に嘘をかさねて収拾がつかず、それでもマスゴミの大活躍でいわゆる政権交代ができてしまい、自分でも知っている勝ち過ぎた荷を降ろすのに一年かかった鳩山由紀夫であった。

その一年こそが現況悲惨な日本をもたらす大スタートになった。反米自立、ということがもし本気であり、それなりのプランがあり、そしてそれを粛々と実行していたなら、偉大な総理として歴史に名を残したことであろう。

しかし、普天間問題の処理が計画があるどころか、いきあたりばったりのご都合主義、つまりこれが彼の原則なのだが、の支離滅裂さで、翌年の親米左右両派が野合する前原派が主体となっての与党内反小沢親米クーデターを招きだしてしまった。

外から見ている分には面白い喜劇であるが、その喜劇に弄ばれる国民はたまったもんじゃあるまい。

日本憲政史上最大のトリック・スターの王冠を鳩山氏に進呈する。



さて、国民皆が待ちかねた辞任後早々、何を思ったか(他人には、言動のその意味も理解できず、その予測もできかねるという、これが彼の行動規範であるが)ロシアを訪問して、当時のロシア大統領のわが北方領土への不埒な上陸を招きこむという椿事を、主観的にどうなのかこれまた不明だが、招きこんでしまった。

かと思うと、アメリカが主導するイランへの経済制裁の最中、これまた何を思ったか(他人にその意味と予測ができかねるという、彼の行動規範の再来であるが)イランを訪問し彼の地のアフマディネジャ大統領と会談し、国際原子力機関(IAEA)はイランなどに「二重基準を適用し不公平だ」などと述べ

これは国際的には大した注目を浴びなかったが、日本国内では与野党そろての顰蹙をかった。

これにこりずに、例によって何を思ったか、今回は北京訪問である
李克強副首相と会談した。鳩山氏は沖縄尖閣諸島(中国釣魚島)問題などで日中が対立する現状を「さざ波」と表現するなど、現状認識の甘さを露呈した」と、産経記者に揶揄されている

ついでだが、産経記者はなにゆえ中国釣魚島)などと注記するのか?まったく余計なことといわねばなるまい。何か魂胆があることがうかがい知れる。


さて、こうしてみるとまさにトリックスターの面目躍如たる言動で、大震災以来めっきりと暗いニュースが続く中でいよいよ異彩をはなち、われわれのタイクツを救うため(なのかどうか)大いに世界を活性化してくれている。


 


がしかし、ほんとうにそうなのだろうか?

「政権交代」前に他のサイトで指摘しておいたが、かの人はフリーメーソン員である。そして日本においてはメーソン二派が確執していた。その後、どうやらデヴィットさんが失脚して、鳩さんの後ろ盾が勝ったということだ。

だから、一見トリックスター的バカ騒ぎに見える彼の言動も、そのキャラクターを知り抜いてうまくキャステイングした黒幕がいる、と考えた方がよい。

その人は、日本留学もしており、日本語・シナ語ともに流暢に話せるという。
また、その人は小沢一郎氏の著書の推薦文を書いたこともある。


だから、喜劇の後ろで進捗するシリアスな事態に注目しなければなるまい。

かたやわが国固有の領土尖閣諸島を利用して日「中」戦争を引き起こすことをもくろみ、かたやトリックスターを派遣してお茶を濁して曖昧化しようとしている、のかもしれない。

かの、李克強はかって小沢一郎邸に書生として住み込んでいたことをここで思い起こしてもいいだろう。世界は喜劇と悲劇が裏表、このことである。



2012年5月23日水曜日

覚醒する百匹目のサル

俗に「衣食足りて礼節を知る」というが、正しくは、「倉廩実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱を知る」(管子・牧民)である。倉廩とは、米蔵や穀物蔵のことである。

すべてにおいてドラスチックなシナ人のエートスであるが、この古代人が喝破した真実をわれらの目の当たりにするようになってきたようだ。

以下のような記事を見た。

ここ半年ほど気がついていたのだが、北京の街の表情が以前と違ってきた。「以前」というのはわずか1年あるいは2年ほど前のことで、実はその変化は もうそれ以前から始まっていたのだろうが、わたしがうっかり見過ごしていたのか、それとも本当に全く気づかないところからじわじわと広がり、鈍感なわたし も気づき始めたのがここ半年ということなのかもしれない。

 その変化とは、北京に暮らす人たちの「公共意識」が急速に高まっている、ということだ。ここでいう「公共意識」とは、人々が見知らぬ多勢の人たち と社会空間をシェア、あるいは共有し合っていることをきちんと意識したうえで、どうすれば自分だけではなく他者も気持ちよく暮らせるかということを考え始 めた感があるのだ。日本なら公共マナーといわれるものかもしれないが、「マナー」以上の心がけのようなもの、それを人々が自発的に求め始めている。」(ふるまい・よしこ『脱皮を始めた都市住民たち』



ふるまい氏は、「フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライター に。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説 している。」(Newsweek プロファイル)

だそうだが、貴重な報告である。

具体的な例として、

「小さなことなのだが、商業ビルに入ろうとしたら前の人がドアを押さえて足を止めて待っていてくれる、あるいはドアを開けたにもかかわらず見ず知らずのわたし を先に通してくれる。道を渡ろうとしていたら、車が停まって道を譲ってくれる。立ち止まって狭い道を向こうから歩いてきた人に譲ったら「謝謝」とお礼を言 われる。またはその逆でお礼を言ったら笑顔が戻ってくる...」

などをあげておられる。ふるまい氏は、香港に18年、さらに北京に10年お住いということで、女性らしく肌身に感じたことをいきいきと記しておられる。

わたしが北京を最期におとずれたのは2000年であったから、ふるまい氏が北京に住まれる以前のことであろうか?今彼女が感じておられることを、わたしは しかしその当時に感じていたのだった。

シナ人諸君はなんて礼儀正しくなったのであろうか、と。

事というモノはいつでもどこでも相対的なのである。

わたしが比較していたのは、わたしの1985年の上海遊学時代の上海・北京と、その15年後の社会の変化であった。

つまりは、ふるまい氏が10年前の2002年当時感じておられたであろう、マナー欠如という風潮は、わたしにとってはすでにマナー改善と受け止めていたのであるから面白いものだ。

1989年のあの北京の学生デモ当時でも、市民の公共意識が向上し、道でぶつかった同士があやまりあっていた、ということを当時留学生で北京滞在中であった友人が、驚きとともにわたしに語ってくれたことがあった。



そういうことがあったので、わたし自身、 2000年の再訪時には意識して彼らの行いを観察していたのであった。

なぜなら鄧小平の経済改革の目標が、国民生活を2000年には小康 状態にする、というものであった。その小康状態ははたして実現したのか、実現したとするならばそれはどんな様相をしめしているのか?

たしかに、85年当時の惨めな衣食水準からは大きく改善された市民の暮らしがしみじみと感じられた。そのもっとも大きなものが、今ふるまい氏が指摘するような人々の余裕ある態度であった。

あれから12年、人々はより公共意識を高めているらしい。「シェルドレイクの仮説」にいう<百匹目のサル>はもう覚醒しているのかもしれない。

とするならば、と仮定するのはまるで根拠がないのではあるが、シナの変容は思いがけず早くやってくるのかもしれない。




註、「シェルドレイクの仮説」と「シナの変容」については、イザ版のフォルダ<シナの救済>と『シナにつける薬』のフォルダ<シナの変容>を参考にしていただけるとありがたい。









2012年5月22日火曜日

対「中」対峙の軍事的裏づけ

世界ウイグル会議の第4回代表大会が東京で開催された。まことにめでたい。

二重の意味でめでたい。

中共の政治外交的圧力に抗して開催されたことがまずめでたさの第一である。

中共統治下に塗炭の苦しみに呻吟するウイグル人たちの人権は必ずや守らなければならず、「少数民族」を蔑視するシナ人諸君は中華意識から解放されねばならない。

世界ウイグル会議東京大会にあわせて、日本ウイグル国会議員連盟が結成されたことも注目に値する。これもまた二重の意味で画期的な出来事である。

案の定、駐日「中国」大使館からは大使の名目で、国会議員諸氏に恫喝の手紙が送られたという。いわく、「日本自身の安全に害がある」云々。

心ある議員諸氏がは怒ったのは当然であろう。




怒るのはけっこうだが、さてその恫喝をはね返すだけの政治外交力さらには軍事力の裏付けはあるのか?

思えば、石原東京都知事のわが国固有の領土である尖閣島の所有権買取宣言は、この世界ウイグル会議のいわば直前に為されたことが今になってよくわかった。

そしてラビア・カーディル女史が、東京都が進める買取のための募金活動に十万円を援助した。さらに女史はわが英霊を靖国神社昇殿参拝により慰められた。これもまた、第一のめでたさに含まれよう。

しかし、めでたいとぬか喜びだけもしてはおれぬ。

大会にパネラーとして参加され カーディル女史と壇上で質疑応答された櫻井よし子女史は、わが国の軍事力がウイグル支援の後ろ盾となる旨の発言をされた。

しかし事の順序が後先逆ではないのか?

わが国はいわゆる平和憲法により、軍事力による外交紛争の解決を禁じられており、憲法上は 軍事力をもたない。つまり櫻井氏の発言は憲法に抵触している。

「保守革命」とは、彼女の言であったかどうか知らぬが、彼女はそれに反対したということは聞かない。しかし、私見によれば保守と革命はあい矛盾する概念である。





それはともかく、対「中」対峙はいわゆる「保守革命」の手段なのであろうか?革命ならば憲法を無視あるいは反対するのも大いにうなずける。

まず対「中」対峙という旗を立てそれからおもむろに憲法改正、核武装へと進むおつもりか?

それは日米軍事同盟だけが頼りの非自立的幻想ではないのか?さすが親米反共の方々の米国への信頼は厚いといわねばなるまい(もちろん皮肉である)。

これがめでたさの第二である。つまり、おめでたい人々だというのだ。

このまま事態が進捗するようなら、その源泉が<オルタナティヴ通信>にある件の裏「ナイ・リポート」の筋書き通りに対「中」戦争が始まりわが国はまた歴史的失敗を繰り返すことになろう。

いわゆる「保守革命」といわずあらゆる革命はいらぬ。わが国の歴史文化を保守する保守的な道を歩むことが肝要であろう。



2012年5月21日月曜日

がんばらないで、「中国」

軍拡路線が周辺の国々に懸念を呼び起こしている「中国」よ、

まず「中国」という自己意識を捨てよ。

いかにも自己中心的幼児病が丸出しで恥ずかしいではないか、

いかに経済大国、軍事大国になったと自己満足しても、

他国から見れば経済中国 ・軍事中国としか見えないのだ。

そしてそれは自己認識上の 心理小国に由来するのであろう。

この病んだ自己意識を治そう。

近い過去に欧米帝国主義の侵略を受け

ナカンズク、小日本からさえ侮りをうけた、

ゆえにわが国は強大でなければならぬ、そして

二度と他国の侮辱を受けてはならぬ

という歴史意識は立派であるがなんだか憐れみを誘う。

そのトラウマと歴史ルサンチマンからはやく抜け出さないと

新に戦争を準備している超大国・唯一の帝国主義からの

扇動と挑発にのって国を誤り民を苦しめることになる。

「中国」よ覚醒せよ~!

もうしゃっちきになって頑張ることはない

もうちょっとリラックスして吾身と周辺を見回してみたまえ。

わたしはそのための手助けをしたいのである。